山門をくぐると右側に閻魔堂があり、閻魔様や他の像は、加賀の絵師・松井右近が彩色したと伝えられている。以前は「鬼寺」と呼ばれ、壁面の地獄絵画が恐ろしく、子どもの勧善懲悪教育に利用された。
畠山氏の崇敬していた観音像を譲り受け、以後、畠山氏の厚い保護と信仰が続いた寺と言われている。参道から山門に続く両側の杉並木が美しく、また、七尾が港町のためか、航海の安全を守る金毘羅神を祀ってあるのも珍しい。
本堂は元禄年間に建立され、天井・柱・壁の絵は僧心岩の作と伝えられており、本尊の阿弥陀仏と共に内陣の丹青が美しい荘厳な寺である。山門をくぐった左側の『歯治し地蔵』や武将にまつわる物語が残っている寺としても有名である。
宝形造の美しい本堂で、七尾城主四代の畠山義元の能登三井の菩提寺を合併したもので、畠山氏の文書や、家臣の墓碑や位牌等もあり、七尾城研究の資料に事欠かない。県文化財の長谷川等伯の『達磨図』や天然記念物の『ラカンマキ』も有名である。
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